ムラのガイジンをめざして

化学会社の従業員中、女性の占める割合は平均12%らしい。これまで製薬、外資、商社などで勤務経験のある私からすると、もっとも低いレベル。事業の連絡会では20名ぐらいの出席者がいるものの、女性は私だけ。あまり自ら女性であることを意識して普段仕事をしているわけではないが、これだけの男社会で私に人間関係を調整する業務をメインでやらせるのはどうなんだ?と思ってしまう、当事者として苦手意識があるだけに。男子校のノリで男性が仕切ればいいではないか。個人的には、女性こそ専門性で勝負したほうが自分の価値を高められるし、周囲から尊重されるので有利だと考える。ちょっと組織からはみ出していても、いやあの分野が一番得意なのは彼女だから!と頼りにされて業務を任される。そういう意味では化学系ばかりの社員の中、生物系の知識を持つ私には希少価値があると信じている。それを活用して組織にありがちな同調圧力から離れて、特別扱いされる存在になることがコモディティ化しないコツなのではないかと。名付けて「ムラのガイジン戦略。」(先日、上野先生の著書で読んだばかりの言葉であるが。)
しかし、体育会系の社風の会社は社員に一律の忍耐を強いるものなので、いくらダイバーシティだと騒いだところで、「公平」の名目のもとに同様にしか扱われないのかもね。けれども、羊たちの群れに混じるのも性に合わないので、これからもはみ出しつづけることにする!いずれは会社を出ることになりそうだな〜。
昨日はバレンタインデーだったので、私も(高齢化が進む)事業部の最年少女性(!)として、居室の男性用にチョコレートを用意した。他部署の女子がガトーフェスタハラダの個包装プレミアムラスクをスマートに配布している一方で、私はと言えば、買ってきた50個ぐらいのチョコレートが入ったBOXに皆の手が伸びていないことを見つけ、15時に男性の席に一人ずつにじり寄り、「どれでもお好きなのを3個選んでくださいね〜」と強制配布+いらんコミュニケーション活動に出た。素敵なおじさまは「なによりも、こうやってサーブしに来てくれるのが感激だよね。」と言ってくれたけど、おそらく他の人は「Claudiaさん、強引だなぁ(苦笑)」と思っていたことだろう。
話は変わるけど。以前少し触れた理研のOさんの件。STAP細胞自体が否定されたわけではないが、今度は論文中のデータ捏造の疑いが出てきているようで残念。理研も独自に調査を開始したようだ。大学院での教育はどうなっていたのだ?という批判の声もあるようだけど、ほとんど外研で研究生活を送っており、某研究所では体系だった教育を受けていないと予測されるし、早大では分野違いの研究だから外研先に指導をお願いした、と考えているだろうし。外研制度の悪い面が出てしまったかなと個人的には思っている。他にも指導教官の件とかいろいろと私なりに仮説はあるけれど、実証できないので書くのはやめておく。

ある雪の日の出張

土曜の夜、ちらっとカーテンを開けたならベランダの手すりに積もる8cmぐらいの雪。嫌な予感はしていた。しかし、9時台東京発の新幹線を予約しているのだから、その予定に合わせて行動するしかないだろう。日曜は5時に起きた。だが関鉄バスもつくばエクスプレスも運転見合わせ。あらら、これじゃあ日が出て雪が溶けるまで、身動きとれないわよね〜と二度寝することに決める。さーて、そろそろ?と8時半ぐらいに確認してみたら遅れは出ているもののTXは動いている様子。それじゃあと用意して外に出てみたならば…15cmぐらいの積雪。おそらく得意技の自転車でも無理。仕方がないのでキャリーケースとバッグを左右に抱えて、登山靴でずぼすぼと雪に埋まりながら駅まで歩いた。どんどんたくましくなる自分が恐ろしい!でも心は弱いのでそこんとこよろしく。
神戸には14時くらいに到着し、兵庫県立美術館でポンピドゥーセンターコレクション展を見ることに。いや、日本画と現代美術は私の感性に訴えかけてこないことが多いのに、どうして毎度気分がノってこういうところに足を運んでしまうのかが自分でも分からない。(あっ、でも会田誠さんは別ね。引越に備えてこれまで揃えた画集をBOOKOFFに持っていこうかと思ったのだけど、「天才でごめんなさい」の中に収録されている、赤いネオン管を折り曲げて「殺す」と不気味に光らせた作品とだけはどうしても別れられない!と思って手元に残すことにした。)ただ、科学と芸術の融合をめざす私としては、ある1作品についてはひらめいたことがあり、今後アイディアを洗練させたいところ。
待ち合わせをしている米国人コンサルから全然連絡が来ないので、心配して適当に三宮に迎えにきたらちょうどきたバスに乗っていてびっくりした。どうにかなるもんだね。そして、グルテンフリーの食事でないとアレルギーが出る彼女を居酒屋に連れて行って刺身だとか鴨ローストなどで、もてなした。この方とはさしで食事をしたことはないので、「今日はあなたを知るチャンスね!」なんて言われ、独身で子供もいないと話題がないのよ…と身構えていたところ、案の定その質問に。私の場合は忙しいのは確かだけど、結婚できないほどではないと思うので、理由については素直に「Japanese men just don't like me.」と返したところ、「Come to San Francisco!」と言われ、やっぱり海外しかないのか…と(苦笑)。子供については「私みたいに養子をもらいなさい!」と言われ、キリスト教の信者とはそこが違うよなと思ったり。この方は生化学専攻の博士なので、例のSTAP細胞の件を振ってみたけれど、あまりご存知ないようだった。ハーバード大の教授が、と切り出したところで「聞いたような気もするわね。」ぐらいで、そんなに興味がある感じではなさそう。東京でもおなじみのウメ子の家(今回、本当に小麦フリーの料理調査の件ではお世話になりました。ありがとうございます!!!)を後にし、神戸のはずれへと移動。ここは爽やかに一日の締めくくりとしてAriana Grandeの曲でも聞きたいところなのだが、完全にダウンしているiTunesを使えないわねっと思いながら、休むことにする。Good Night!

自然界と人事

人口密度の低い田舎で育ち、友達と元気よく遊ぶ一方で、ひとり野原で花を見たり、虫を捕まえたりする幼少時代を送ったため、たまに文系や都会育ちの人と話した時に感じる、「人間関係=世界」という世界観にはなじめない。他人がいない大自然の中でも、自分は思考したり、何かを感じたりしながら確実に存在しているからだ。
「中二」という歳にはなにかあるのかもしれない。私はその頃、もっとも「人間嫌い」だった。中学受験からはじまったテストの成績を競う熾烈な競争。基本的に教師に協力的な私は目をかけられがちで、決してトップの点数ではないときでさえも、「今回、この海流の名前を正解したのは学年でClaudiaさんだけです!」と要らぬ発表をされては、一部のクラスメートの反感と嫉妬を買っていた。自分は好戦的なタイプではないので、過激で下品な人たちから嫌味を言われたり妨害を受けたまま、うまく反撃もできず、「将来は煩わしい人間関係を絶って無人島に住みたい。」と毎日アホなことを夢想していた。しかし、人を憎んで暮らしていてはあまりにむなしい学園生活になってしまう。何か打開策はないものか、とキョロキョロしていたら、自分に敵意を持たない人たちの存在に気付いた。そう、この人たちと仲良くすればいいのだ。それからはどこでも必ず自分の味方になってくれる人はいるものだ、と信じている。
しかしながら、「中二」の魂は百までつづく。やはり苦手なことは得意にはならないのである。自分としては現在の業務に一度たりともコミットしたつもりはないのであるが、事業部という部署で、事業を成功させるために、他部署間の業務の調整を行い、事業の進捗管理に付随するありとあらゆる雑務を担当している。人間関係に弱いからこそ、特殊な知識や技術で武装し、スペシャリストとして生きていこうと考えていたのに、全然活用されていないではないかー。博士を大量に雇用している企業は要注意だ。もちろん、製薬企業のように高度な基礎研究を行うために雇用する場合もあるだろうが、弊社の場合は結局、専門性に配慮しない人事配置が行われるため、博士だろうと修士だろうと関係ないのである。私は、3年間は忍耐しないと文句を言う権利もないだろうと思ったから、黙って責任を果たした…部下に適切な指示を与えないてけとー部長と仮面社畜の先輩に利用され、仕事を押しつけられまくってもね。しかし、そろそろ反撃に出るから、覚悟しときな。
残念なのは、この会社で苦労しているのは私だけではないということだ。研究員ともたまに話すのだけれど、彼らも異動希望には必ず、1番の「今すぐ異動したい」を選択しているらしい。うちの会社の規則では、そこに印をつけた社員を人事部はマークして追跡調査することにしているそうだ。そんなに皆が異動したいと思っているなら、普通に待っていてもなかなか自分の番は回ってきそうにない。私が事業部脱出のため、応募した新規製品テーマの採用結果発表をいよいよ来週に控え、期待に胸は高まる…!
経済活動は人間にしかできないから、生きていこうと思ったら人々の間にいるしかないんですけどね。

Stimulus-triggered acquisition of productivity?

昨日からSTAP細胞関連の話題が大賑わいですね。再生医療の研究から離れて久しい私は何気なくネット上の記事を見ていましたが、神戸理研の研究リーダーのOさんは、以前同じ研究所にいて日常的に話をする仲ではあったので、驚きました。雰囲気は早大の学生さんだったときと全然変わらないですけどね。ちなみに今日会社でも、「昔から割烹着きてたの?」という質問ばかり受けましたが、普通に白衣だったと記憶しております。彼女はアカデミックポストを目指して、非常に前向きに研究をしていました。その当時うちの研究所では細胞ソースの研究はあまり推奨されてはいなかったので、今日の飛躍のきっかけが得られたのはハーバードに留学してからでしょう。日本で下積み研究生活に耐えているときでも愚痴の一つも言わず、所長の前では「この研究所で再生医療の研究が出来て本当に、本当に私は嬉しいです!」と感謝の言葉を述べていたので、上からの覚えも大変めでたく、可愛がられていました。研究姿勢には非の打ちどころがなかったですね。ある日のこと、女性研究者の集会から戻ってきたら、なんだかしょんぼりしていました。「会場に行ってみたら東大の人ばかりで。早大卒が研究者になるのは難しいのでしょうか。」としおらしく言ったりして。思わず助けたくなっちゃう魅力のある子なんですよ。研究で大成功しようと思ったら、賢いだけでは不足しており、周囲の協力を取りつける人間力も不可欠。加えて、何らかの形で人脈のあるビッグラボに関わること。Vacantiのラボに行けたのはやはりお金と知名度がある某研究所のコネがあったからです。
今回はマウスでの研究発表だったので、ヒトへの応用が可能であることが証明されてからが勝負じゃない?と思っていたところ、既にサルやヒトでもそれらしき成果が期待できるようですね。京大VS理研で再生分野において競争するのもよいかもしれないけど、協力し合った方が発展が早いんじゃないかなぁと思うこの頃です。
知人の活躍に刺激を受け、自分自身のProductivityを上げようと思ってつけた表題でしたが、リアルに仕事に追われているのでこのへんで。いろいろと比較してみると、先生のいうことをちっとも聞かない研究生活でした。修士のときの反動でしょうけど…。

雑談あれこれ

やだなー、おもいっきり元旦に前向きなこと書いておいて、その後、実は落ち込んでいました。冬の気分は変わりやすいの。暗い記事を下書きに保存したものの公開をためらい、また新しい暗い記事を上書きしては消し...それはまるで砂に書いたラブレターのように、書いたそばから波が文字をさらってゆくのです。なんてね。
なんだかこのしょうもないダイアリー、話題に取り上げたご本人に見つかってしまったみたいで。ま、別に気にしても仕方ないけど〜。
さて。こんなワタクシでも、会社では課長です。(課は存在しないですが。苦笑。)人事から分厚い封筒が届いたと思ったら、去年から予告されていた、自由応募分のエントリーシートの山。私が修士で一度就職したときには教授のコネを最大限に活用いたしましたので、そこそこ入ってもよいと思える企業なら、教授推薦とか共同研究のコネを使ったほうが断然効率的だと思います。そうすればおそらく書類選考で落とされることはないでしょう。
ちなみに私が申し渡されたのは自由応募の書類選考では7割を目安に合格としなさいということ。研究内容の説明や人事が出した課題に対する記述で独創性、主体性、論理構成力を判断しますが、3割の合否ラインというのはかなり明瞭に設定可能です。最初のうちは、私の判断で若い人の人生を変えてしまうなんて!?と緊張していましたが、読み進めていくと、いや、これは入社してもらっては困るレベルでしょう、ときわめて妥当な結果に。後悔はしません!
話は変わって、読んだ本の感想など。

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

平野啓一郎さんの方は割と読んでいるので、彼が主張する「分人」思想をある程度理解していると思っています。しかし、応対する他人ごとに、自分の中に別の人格を形成する、というのは平野さんのように器用な人だけが可能で、一般の人は数パターンしか対応できないのではないかと。また、平野さんがサービス精神旺盛だからかもしれないけど、他人が求める自分の断片だけを提供するのもかなり難しいと思います。もし共通点が何も見つからなかったら?そもそもそこまでして受動的に他人に合わせないといけないのでしょうか?一人でいるときの無防備な自分のまま、長い時間を一緒に過ごす人には受け入れてもらえないかしら?自分好みの「分人」で付き合える同志を探したい、とかもっと積極的に自分からキャラを押し出していく場合もあると思うのですよね。ただ、一人の人間として人格の画一性とか統一性を強いられない自由な思想としての「分人」には賛成です。
分人の恋愛観についても疑問を感じます。その人といるときの自分の分人が好き、という他者を経由した自己肯定の状態が愛とのこと。うーむ、確かに以前は結局、他人から愛してもらうことで、自分自身を愛したいんだな、って思ってましたけど、相手の出方に関係なく、素敵な人は素敵だし、好きな人は好きな人だと思うのよ。相手にしてもらえないから嫌いになるなんて、人間として小さすぎる。インタラクションのない関係?に意味があるかと言われそうだけど。自分が見ている世界の中では意味があるんですよ。きっとそこから妄想が始まるのですね。本件はしばらく考えるネタになりそうです。

新年あけましておめでとうございます

2014年。今年はなかなか良い年になるのではないか、と個人的にはかなり期待感を持っております。思い返せば、去年はなんとなーく、幕を開けてしまい、受動的に過ごしてしまったなと反省。しかし、溌剌とした人との出会いにより、11月から一気に巻き返せてきたような気がします。人生は意図を超えて展開する(by野依先生)。自分の興味あるところには多少億劫に感じても顔を出し続けるべきだと思いました。今年は何に巡りあえるでしょうか。
元旦の朝は、初日の出には間に合わなかったけれど、海岸へ向かって車を走らせ、サーファー達でにぎわう海を見ました。大型タンカーが遠くに見え、風力発電機が回っています。逆光で無理やりですが、こんな写真を撮ってみました。

その後は鹿島神宮に出かけ、自分ひとりなのをよいことに、御手洗池→要石→奥宮→鹿園→本宮と制覇して、森林浴を楽しみました。ノンアルコール甘酒も味見。それほど寒さも厳しくなく、心地よい散歩となりました。

今年のおみくじは次のとおり。

吉:巣立の鳥の飛習えるが如し
是から事業の出来る様になったのである。但し初の程は一生涯の禍を招くやも知れないから気を附けねばならない。

段々と運勢が好転するようです。私の担当製品も無事売れて順調に立ち上がってほしいです!商売繁盛。
これまで自分やその周辺のことばかりお願いしてきましたが、会社の発展も切に願ってます。

皆様にとっても実りある1年となりますように。共に頑張りましょう。

こころの旅

冬休みは9連休。海外に十分出かけられる時間があるけれど、仕事以外でわざわざ長時間飛行機に乗ってどこかへ出かけようという気になれない。そんな訳で、この休みはこころの旅に出ることにした。読書をしながら自分の日々の暮らしや人生を落ち着いて考える時間を設ける、ということ。
最近、活字から離れていたので、砂に水がしみ込むように言葉が頭に素直に入ってくるのには驚いた。読書ってこんなに楽しいものだったんだ。来年の目標は「自分の限界を超える」と少々イタい感じなのだけれど、日々直面する自分の弱さ、ダメさ加減を正しく把握して、その原因を是正しない限り、これ以上の飛躍はない。

「絶望の時代」の希望の恋愛学

「絶望の時代」の希望の恋愛学

久しぶりに宮台氏の本を読んだ。彼は女性を責めないのだけれど、この時代の恋愛がうまくいっていないというならば、男性だけが悪いわけはないからね。いろいろとはっとさせられた。自分も男性を物格化してないか?メガネ男子という記号に惑わされてない?新しい世界、可能性を自分で切り拓くのだという気概(内発性)がある?他者に対して感覚が閉じてないか?自分言及ツイートしか書いてなくない?
―――全部あてはまっていてげんなりだよ。適度な距離感を維持してくれる他者には興味があり、安心してつきあえるのだけど、よく知らない、愛着が湧いていない人に対しては心が閉じている。街角でのナンパに応じるとかありえない。
私が今Twitterwatchしている方は、自分のことと社会の出来事に対する意見などをバランスよく書いていると思う。ただし、後者に対して過激なことを書くと、あちこちから叩かれるらしく、ときどき嘆きのつぶやきもある。政治問題に対してきちんと論じようと思ったらいろいろと事実関係を調べる必要があり、手間と時間がかかる。そうまでして靖国問題等についてわざわざ書きたいという動機はないのよね、私には。
女性は他者(付き合っている男性?)の欲望を受けとめて、自分はこうしたいという欲望を主張することがあまりないと言われているけれど、私も他者(年長者)の期待を敏感に受けとめて、できればそのとおり振舞いたいと思ってしまうタイプ。それで疲れてしまうので、結果的に一人でいるのが気楽だわ、って思うのよね。もっと交渉して、お互い納得いくところで手を打つことが必要なんだな〜、何事も。ただ、なんだかそういうストレスフルな人間関係から離れて世界の片隅でひっそりと生きていたいと願ってしまうのだよ。
随分待たされたIQ/EQに関連する遺伝子検査の結果が送られてきた。IQに関しては弱いところは指摘されなかったけど、「集中力」が並っていうのはそのとおりだなと。すぐ気が散ってしまうのだ。しかし、問題はEQである。やや弱い潜在能力が内向性(はにかむ傾向)、楽観性(積極性)、同情心、コミュニケーション力...って多すぎるじゃないか!というわけで、私が他者とうまく関われないのは遺伝子のせいってことで。じゃなくて、その弱さを何のために乗り越えたいの〜?ってことをよくよく考えて、特別弱いところなんだから頑張って克服せいよ、ってことなの。
こうなったら遺伝子治療か?(ちゃうちゃう。笑。)