宗教について思うこと Inspired by 昨日の会話

 なんだか資本主義社会でやりたい仕事がないなぁと悩んでいた頃、職業としての修道女や尼僧はどうだろうかと考えてみたことがありました。神や仏に仕え、教えを探求し、心安らかに自給自足の生活を送る…。
 しかし、なにしろ懐疑派のワタクシなので、他人の考えを鵜呑みにして、そのまま信じるということができません。ですので、ある特定の宗教に入信するということはこれからもないでしょう。もし可能性があるとすれば、自分が教祖となることぐらいです。世の中にはいろいろな宗教がありますが、科学が発達していない時代に無理に世界の成り立ちなどを説明しようとした部分が、最新の知見と矛盾し、宗教の教えの絶対性に疑義を挟んでいると思います。それに、いかにも現実には起こりそうにない奇跡のエピソードって信仰に必要なんでしょうか?そういう信じがたい部分はさておき、宗教の教えのよいところだけをちゃっかり拝借して人生に活かす作戦を私はとりたいです。
 NHKの100分de名著は本当によいテキストが多いですが、1月号の「般若心経」はとても刺激的、かつわかりやすかったです。ただ、私には世界が「空」であるという解釈は受け入れがたいです。苦しみから救済されるために、苦の原因となるものも存在しなければ、苦を認識する主体も存在しないと。そんな空虚で面白くない思想に救われなければならないほど、自分は苦しんでいないですね。というか、そのような世界観でこの現実の世をどのように生きていったらよいのか、あまり参考になりません。すべては空であり、会社勤めは意味がないと思うので辞めます。さらに言えば、生きていることに意味がないので、すぐ死にますってことにもなりかねないのではないでしょうか。過度に期待せず、諦めて生きるという道もあるかもしれませんが。「生きる」ことに勇気を与える思想を私は求めたいのです。
 苦しみはあるけれど、私はもっと前向きに、明朗快活に生きていたいんですよ!命ある限り。自分と他人は別の世界に生きていて、どこまで分かり合えるかも定かではありませんが、それでもこの広大な宇宙で、空間と時間を共有できた偶然を大切に、共にめいいっぱい楽しみたいのです。
 私が長く疑問に思ってきた三島由紀夫の豊穣の海シリーズのラストも「空」を描いていたのだな、と理解できました。ただ、私は本多が信じた輪廻転生の物語こそ、本多にとっての真実なのだから、聡子がどう言おうと、自分しか認識し得ない自分の世界が正しいと自信を持てばよかったのにと思います。ただ、死期が近づいた本多は門跡である聡子の導きにより、「空」=寂莫を極めた夏の庭と一体化し、救済されたということなんでしょうね。