あれこれ

グロービスの西先生から「松岡正剛」氏のことをお聞きし、丸善オアゾ店に出かけてみたならば、立派なコーナーがありました。4階に彼の著書とお勧めの1000冊の本が置いてあります。西先生は授業中コンテストを行うことが多く、よい案を出したチームには景品が与えられます。ほとんど図書カードか松岡さんの著書そのもので、私は「誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義」

誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義

誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義

をいただき、それをインドで時間があるときに読んでおりました。そこでつくづく思ったのが、バタフライ・エフェクト― 一見無関係に思える2つの事象もありとあらゆる知識をためこみ、その関係に有機的なつながりを見出すことの出来る人には必然であり、人間は持っている知識の量で世界の見え方がかなり異なる、ということでした。私は現代の自分の生活に特に過去の歴史の積み重ねを感じることがありませんが、それはただ関心がないから調べないだけで、本当は「プラダを着た悪魔」でミランダ編集長が「あなたが何気なく着ているそのセーターのブルーの流行はX年前に私達が作ったのよ。」というように、現況の原因は必ずあるものなのかもしれません。いろんなことを教養としてためこんでいる物知り博士には憧れますが、やはり人間が一生に出来ることは限られているので、私は仕事や趣味について極めるべきことは極める、という姿勢で臨みたいと思います。
松岡さんは他にポプラ社から出版されている子供向けの「わたしが情報について語るなら」という本で、彼の提唱する知の編集工学について紹介しております。せっかくですので、<未来のおとなへ語る>シリーズを数冊読んでみましたが、一番重みがあったのが、中曽根元首相の「わたしがリーダーシップについて語るなら」でした。以前、レーガン大統領も訪れた日の出山荘に行き、「自分自身が人生で創造しうる一個の芸術作品である」的な言葉が書いてある置物を見て、いたく共感してからというもの、中曽根さんには注目していたのですが、人生で試練を経験した人間はかくも強くなれるのか、とさらに感心いたしました。私が考える彼の試練とは戦時中、海軍で自分がリーダーとなって部下の命を預かった経験だと思うのです。敵から攻撃を受け、阿鼻叫喚の地獄絵を目前にしたことも何回もあったでしょう。今の私達は幸運にも戦争を経験せずにすんでおり、人の生死に関わる場面といえば「病気」や「事故」ぐらいです。病気に関しては、早期治療で大事に至らず、老年期にいたるまでは薬でごまかしながら生きていけてしまいます。辛さを回避できる分、「世の中のここを変えていきたい」と強い思いを抱くことが出来なくなっているのではないかと思います。欠乏感の欠如―これこそが我々が直面しているモチベーション低下の原因であり、今後の課題となるでしょう。自分が何をしたら人々の幸せにつながるのか、なかなか明確な回答は見つかりません。もう十分幸せな気がします。便利すぎても、考える力を失わせることになりますしね。