嫌いなことから人は学ぶ、と養老先生は言った。

本日はノーベル医学・生理学賞が発表になりました。Yahooニュースには山中先生最有力候補、と書いてあって、まだiPS細胞がガン化しないように制御できていないのに受賞はないでしょう、いつかは獲得してほしいけど、と思っていました。山中先生がノーベル賞を取ったら、私は昨日デートをした男性と結婚するだろうと心の中でビミョーな賭けをしてみたところ、「それはなし」という結果になりました。昨日の方はとても鋭敏な感覚の持ち主で、話は面白いし、男気があったけれど、なんだか全部をその人のやり方に合わせなくちゃならないんじゃないか、という窮屈さのようなものを感じていました。もう田舎に家も買ってしまっているものだから、「アクアラインで東京まで通勤できるよ。」と言われたり、転勤の是非を聞かれたら拒否するつもりはないとか。家族に対する考慮は一切なしかよ、という具合で。特に関係性も構築されていない段階で反論する気もなかったので、適当に流していましたが、付き合ったとしたら、この押しの強さに負けて、一つ譲れば延々と譲り続けて、私の人生なんだかな!?とため息をつくはめになるのではないかと。結局、誰も選ばずに婚活している時が夢をみられて、一番楽しいのかも。この世に生きている人間としては存在しないかもしれない夢の男性。いいではないか、現実が辛いなら夢の世界に生きたって。脳をマトリックスにつなぎ、培養液中を漂いながら心地よい夢だけを見続ける。それさえも否定しないほど、今の私は疲れきっています。嫌いなことから人は学ぶのだから、あきらめちゃいけませんと養老先生は書いているけれどね。