臨場感と意外性について

なーんかね、私は昔から強烈に何かを感じたい(臨場感を味わいたい)と願いながらも、いざその場に居合わせて、頭の中では「今ですよ!まさに何かを感じる瞬間ですよ。」との理性の指示があっても、ぼーっとして何も感じることができないのですよね。なんなのこの空っぽな感覚は?  防御反応の一種なのかもしれません。そして、その出来事からかなり時間が経ってからはじめて、感想を抱く余裕ができるのです。
今の会社では、残すところ7日間の勤務となりました。でもね、3週間後には違う会社で働いているんだ、とか、仲良くしてもらった同僚たちともお別れだ、という実感がないんですよね。まぁ今更、寂しく感じたり、残念な気持ちになるのもしゃくなんですけど。退職に関するぶっちゃけ話は次回に譲ることにして、今回はお盆のあたりの話をいたします。

ここ数年は、毎年オフィスの窓から東京湾大華火祭を見物するのが慣習になっていました。それも今年が最後なのね、よよ…と頭では考えるのだけれど、実のところ心が何も感じておりません。花火はきれいだとは思うけれど、感動とまではいかないんだなぁ。もしかして、生きることに飽きちゃってるとか?  あるいは、物事に対して前もって予測しすぎ、準備しすぎで素直に反応できないのかもしれません。

「全て予想通りでした。」ハイ終了。では退屈してしまいますよね。


だからこそ、私は「意外性」のあることに惹かれてしまうのです。興味がなくてうっちゃっていること、あらかじめ先入観のない物事に接して、「あれ?意外といいじゃん。」とか「わっ、予想と違うわ!」と驚くこと。そのような新しい刺激を味わうのが楽しみなのです。特に「ひと」は必ずしも私と同じことを考えているわけではないから、興味津々なのですよね。

日曜日。自宅からめっきり近くなったビッグサイトに出かけ、綾波書店(id:ayanami)さんに初めてお会いしました。ブースに辿り着くまで50分ぐらいかかり、この集客力で何か有意義なことはできないか、とか、バイオEXPOもこれぐらい賑わえばいいのに、などと暑さに頭をやられながら思っていました。東2番ホールのO列42番b、41番…と徐々に目的地に近づいていくと、やり場に困る長い足をパイプ椅子の前方に投げ出して、けだるそうに座っているお兄さんがいるではありませんか。目の前には山と積まれた歴代「イグノーベル賞ファンブック。」   なんだかこのお方、とってもスポーティーなイケメンって感じなんですけど、オタクを標榜する綾波さんなのか、本当に!?と疑問に思っていたら、やっぱり別人でした。 …なんてウソです。素敵な綾波さんについにお会いできて、光栄でした!
今後ともお元気に活動を続けて下さいませ。在華坊さんともかなりご無沙汰してしまっていますが、センスの良さにはいつも敬服いたしておりますので、お薦めの美術展には行くつもりでございます。

ブロガーって文調と本人との間にギャップがある場合があるので、オフ会を楽しみにしていた頃を思い出しました。今後はひとつ、日常生活の中で「驚く」ということをしてみようと思った週末なのでした。