真実は何度でも再発見される


私が読書をするときは、なんとか著者の主張を理解しようと、無意識のうちに共感できる部分を探しているような気がいたします。ぴたっと意見が合うときには、やっぱりこれって真実なんだと思うわ、だって広い世界で偶然2人の実感が一致することなんてあるかしら?と確信を深めたりしております。この2ヶ月ほど、欧州出張の件が心に重くのしかかっており、身のある本を全く読んでいなかったせいか、「おもしろきこともなき世」と勝手に勘違いし、空疎な日々を送っておりました。しかし、ようやくこのGWにさまざまな刺激を取り入れ、復活しつつあります。
以前から私があまり感じることが出来ないでいる「臨場感」「現在に対する強烈な感受性」というべきもの、なんとウォーホル先生も感じていないようなのであります。

ぼくは撃たれる前も、自分が全部じゃなくていつも半分しかそこにいない感じがしていた。現実の人生を生きてるというよりTVを見ているような感じだった。映画は作り物だというけど、ぼくには実際の人生で起こることの方が非現実的に思える。映画は感情を誇張して真実に迫ろうとするけど、現実に自分にコトが起こるとまるでTVを見ているみたい、何も感じない。

美術手帖2011.05より引用)
そっかぁ。逆に映画の見すぎで、「こういう状況ではこういう感情が盛り上がるものだよね。」と刷り込まれているから、いざとなるとアレ?期待しているのに何も感じない!と肩すかしをくった感じを受けるのでしょうか。
少し前に、瞬間を生きる技法を学ぶべく、次の本を読みました。

瞬間を生きる哲学 <今ここ>に佇む技法 (筑摩選書)

瞬間を生きる哲学 <今ここ>に佇む技法 (筑摩選書)

私は結構、「将来の不安を解消するため」に今このときに努力しておくことが多く、その行動を称して、「未来のために生きており、現在を生きていない」と指摘されれば、そのとおりなのでしょう。そして、「今」充実感を感じたいというのは、私の夢でもあります。そのような期待を抱いて手に取ったものの…、結局「現在」というのは一瞬のうちに過去へと過ぎ去ってしまい、無意識のまま見失われてしまいがちである、なんて!その「失われたとき」が再び見出されるまでを描いたのがプルーストの「失われたときを求めて」ですが、類似の体験などを通じて、無意識のうちに忘れ去っていた過去の時間の豊かさ、美しさがふと甦るとき、幸福感とリアリティに包まれ、やがて人生の絶対肯定へと導かれるようです。そのような「至高体験」の域には達しておりませんが、私が求めていた「現在に対する強い感覚」や「喜ばしい感覚の永続」は、もともと得がたいものであるということが認識できただけでもよかったかなと思うのです。

最後に。昨日「イヴ・サンローラン」という映画を見ました。冒頭、65歳にしては老けすぎのイヴが引退声明において、彼がファッション界において達成したこと、長年孤独とプレッシャーと闘ってきたことを、覚束ない口調で語るのですが、これが泣けます。正直、この映画はオープニングだけでよいです。パートナーだったピエールがイヴの死後、2人で収集した芸術品をオークションに出す粗筋なんてどうでもよいので。
その彼が酒とドラッグに溺れたこともあった苦悩の日々から見出したもの、それは人生において一番大事な出会いは、自分との出会いであること。この言葉に万感の思いが秘められていると想像するとね…私がやってる仕事程度のプレッシャーでがたがた言っている場合ではないと反省するのです。

Tout homme pour vivre a besoin de fantomes esthetiques. Je les ai poursuivis, cherches, traques. Je suis passe par bien des angoisses, bien des enfers. J'ai connu la peur et la terrible solitude. Les faux amis que sont les tranquillisants et les stupefiants. La prison de la depression et celle des maisons de sante. De tout cela, un jour je suis sorti, ebloui mais degris. Marcel Proust m'avait appris que <>. J'ai, sans le savoir, fait partie de cette famille. C'est la mienne. Je n'ai pas choisi cette lignee fatale, pourtant c'est grace a elle que je me suis eleve dans le ciel de la creation, que j'ai cotoye les faiseurs de feu dont parle Rimbaud, que je me suis trouve, que j'ai compris que la rencontre la plus importante de la vie est la rencontre avec soi-meme.

Yves Saint Laurent, 7 janvier 2002

「自己の存在」という究極の真実を実感できたとき、その人の人生は充足感で満たされるのでしょう。そして、そのチャンスは日常のあちこちに転がっているようなのであります。